2010年01月19日

内閣人事局 局長に国会議員 公務員法改正案 「脱官僚」加速(産経新聞)

 政府が18日召集の通常国会で提出する国家公務員法改正案の概要が11日、明らかになった。公務員制度改革の体制整備を担ってきた「国家公務員制度改革推進本部」を3月末で廃止し、幹部人事を一元管理する新設の「内閣人事局」にそのまま機能を移す。局長には国会議員を充て、公務員制度改革と人事の権限を一手に政治家が握ることにより、「脱官僚依存」を加速させる狙いがある。

 新制度は、内閣人事局が、各省庁の事務次官や局長ら幹部職員の人事に先立ち、「幹部候補者名簿」を作成。これに基づき首相や官房長官、各閣僚が協議した上で任命する構想。これにより省庁横断型の人事ができるようになり、縦割り行政の弊害を排除することが可能となる。

 国家公務員制度改革推進本部は福田康夫政権下の平成20年7月に設置された。仙谷由人国家戦略・行政刷新担当相は昨年12月、日本経団連出身の立花宏事務局長や元総務次官の松田隆利次長ら事務局幹部10人を一斉に更迭し、事務局長は今も不在のままとなっている。同本部職員の大半は新設の内閣人事局に横滑りする見通し。

 一方、麻生太郎前内閣が20年12月に内閣府に設置し、民主党が「天下りバンク」と批判してきた「官民人材交流センター」と「再就職等監視委員会」は3月末で廃止する。これらの組織に代わって4月に「民間人材登用・再就職適正化センター」を新設し、同センター内に「再就職等監視・適正化委員会」を置く。新センターでは組織改廃に伴う退職者の再就職管理や「天下り」の摘発を行う予定となっている。

 政府は4月からの新体制移行を目指し、2月上旬にも国会に提出し、早期の成立を目指す方針。

                   ◇

 ■国家公務員法改正案骨子

・国家公務員制度改革推進本部は廃止し、内閣人事局に機能を移す

・官民人材交流センターと再就職等監視委員会は廃止

・民間人材登用・再就職適正化センターを新設し、同センター内に再就職等監視・適正化委員会を設置

・民間人材登用・再就職適正化センターでは、勧奨退職者に対する再就職斡旋は行わず、組織改廃に伴って生じた退職者の再就職斡旋のみを行う

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2010年01月15日

聖徳太子の弟の墓? 大阪・塚穴古墳に人工築山、風水意識か(産経新聞)

 聖徳太子の弟、来目(くめの)皇子(生年不明〜603年)の墓として宮内庁が管理する大阪府羽曳野市の塚穴古墳(7世紀前半)で、大規模に盛り土を施した人工の築山(つきやま)状遺構が見つかり、市教委が14日、発表した。飛鳥時代の皇族クラスの墓は、中国で流行した風水思想に基づいて山を背に築かれたともいわれており、塚穴古墳も風水思想を意識して背後に築山を築いた可能性が浮上、来目皇子説を補強する資料となりそうだ。

 塚穴古墳は墳丘の一辺が54メートルの方墳。墳丘北側を発掘したところ、粘土や砂などを交互に積み重ねた厚さ約1メートルの築山状遺構が幅22メートルにわたって確認された。調査区域一帯は現在も周囲より数メートル高くなっており、市教委は、築山状遺構は当初、高さ3メートル、幅40メートル、長さ100メートル以上にわたって広がっていたと推測している。

 風水思想では、墳丘北側に山、南側に谷が広がる場所が古墳にとって最適な場所ともいわれ、聖徳太子墓(大阪府太子町)などは丘陵斜面に築かれている。塚穴古墳は比較的平坦(へいたん)な場所にあり、理想的な立地にするため、墳丘北側に人工の築山を設けた可能性もあるという。

 塚穴古墳では、平成18年の調査で墳丘南側に長さ100メートル以上の外堤が確認されている。今回の調査や現在の地形をもとに推定すると、外堤を含めた古墳の規模は130メートル四方で、飛鳥時代の大豪族、蘇我馬子の墓とされる石舞台古墳(奈良県明日香村)の85メートル四方を大きく上回り、国内最大級になるという。

 日本書紀などによると、来目皇子は602年に新羅征討将軍に任じられ九州へ赴いたが、翌年に病死。「河内の埴生(はにゆう)山の岡の上(現在の羽曳野丘陵)に葬られた」とされている。現地説明会は行われない。

 大阪府立近つ飛鳥博物館の白石太一郎館長(考古学)は「墳丘周囲に立派な盛り土の施設を設けており、有力皇族の墓の可能性がさらに高まった。来目皇子の墓とすれば、新羅征討将軍の死に際し、墓を特に立派なものにしたことも想定される」と話した。

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